小さな頃からの、
日常とはちょっと変わった出来事を
思い出してみました。
子供時代
〜海岸にクジラあがる〜

私の小、中学生時代は
海岸線沿いに40〜50分歩いての通学でした。
帰り道・・一応通学路は決まっていたものの
今ほど厳しくはなく、
よく寄り道をして帰ったものです。
特に海岸に下りての寄り道は
貝や漂流物を拾ったり、
楽しいものでした。
私が小2の頃だったと思います。
沢山の人だかりが出来ているので行ってみると、
ナント小さなクジラが打ち上げられていました。
その時は既に解体され、
皆に切り分けているところでした。
私たちもすかさず皿のような物を探し、海で洗って
一塊を切り分けて貰ったのです。
家に着くまでの間は、すれ違う人すれ違う人に
「何?それ・・」と質問責めです。^_^;
今思えば
学校帰りの子供が生肉(?)を両手に乗せて歩いている姿は、
ちょっと奇妙な光景ですよね。
一応母に調理をして貰いましたが、
脂分が多すぎて食べられなかったと思います。

それからの学校帰りはいつも期待して
「今日はクジラあがってないかな?」
と、海岸をのぞいたものです。
しかし、あれからクジラがあがることは、
一回もありませんでした。
〜キケンな遊び〜
私の子供の頃は近所の子供が集まって遊ぶのが当たり前で、
年の上の子が下の子の面倒をみて、
その中でいろんな事を学んでいったものです。
しかし、親の目が無い分、危険な事もいっぱいでした。
みかんのだんだん畑を何段もおりる競争で、
飛び下りる毎に足の裏からジーンと頭に突き抜けるような痛みは、
骨折寸前という感じだったし、
テトラポットの上での競争は一歩踏み外したら
海の中に引き込まれていました。
そして今でも姉と「怖かったね!」と話す事があります。
当時私はまだ小学校に入る前で、
下にはもっと小さな近所の子もいました。
いつものみかん畑とは違う方向の山に行った時の事です。
そこは山と山の谷間にハシゴを横にしただけのような
木の橋が架かっている所でした。
それはそれはスリルのある橋でしたが、
更にスリルを求めて誰が速く渡れるか
「イーチニーイ・・」と皆の数える声で、競争をしたのです。
子供ながらに間違って落ちればどうなるかは分かっていたので、
踏み外さないように真剣でした。
今でも思い出すとゾッとします。
その橋にはもう一回行ったと記憶していますが、
さすがに
「キケンだからやめよう!」
ということになり、
それ以降その場所に行く事はありませんでした。

私は時々あれは幻だったのでは?・・と思う事があります。
しかし姉もしっかり記憶しているので、そうではないのでしょう。
大人になって探してみたのですが、
どうしてもその場所を見つける事が出来ませんでした。
とても怖くて不思議な体験でした。(良い子はまねしないでね。)
〜風邪の日の思い出〜
私は身体こそ丈夫でしたが
よく風邪をひく子供でした。
一年に一度は必ず高い熱を出して寝込むのです。
当時は病気になったからといってすぐに病院に行くわけではなく、
家にある薬、富山の置きくすりを飲んでひたすら眠るのです。
午後になり、段々と熱が上がってくると天井も迫ってきて、
木目も気のせいか人の顔に見えてくるのです。
熱にうなされていたのでしょうか?
気持ち悪いし、怖いしで、よく布団をかぶっていたものです。
しかし、一つだけ楽しみな事がありました。
買い物の前に必ず母は食べたい物を聞いてくれるのです。
私はすかさず「モモの缶詰!」と答えてました。
モモの缶詰なんて・・・
今では隅っこに追いやられ、その地位は低いものです。
でも自分の中での病気の時のとっておきだったのです。
布団の中で食べる事が出来る、唯一の食べ物でした。
今ではスーパーの棚にモモの缶詰を見つけると、
母の顔と共に
当時の苦い思い出と、嬉しい思い出が
交差するのでした。
〜ウーウーのおじさん〜
今学校では関係者以外の立ち入りって厳しいですよね。
それだけキケンな社会になってしまったのでしょうか?
私の頃はそれこそ開放された造りになっていて、
度々「ウーウーのおじさん」という人が
巡ってきていました。
「ウーゥーウーゥー」
と遠くから声が聞こえると
みんな「ウーウーのおじさんが来たっ!」と叫ぶのです。
おじさんは耳が遠く、
両手で耳を片方ずつ塞いで、
自分の耳の聞こえを確かめるかのように大きな声で
「ウーゥーウーゥー」
と言いながらやって来るのです。
ポケットには消しゴム・鉛筆、そしてお菓子なんかも入っていて、
集まった子供達に嬉しそうに配るのです。
今ではちょっと考えられない光景ですが(ましてお菓子まで配って)
先生達も誰も止める人はいなかったのです。
そして配り終えると
子供たちの「さよならー」の声と共に
「ウーゥーウーゥー」と言いながら
サイレンのように
段々とその声は小さくなっていくのでした。

〜渋谷駅のホームで消えた子供〜
私は学生時代山手線を使って通学をしていました。
途中渋谷駅に停車するのですが、
私達の乗る位置での渋谷駅での停車位置は
大きくカーブしたホームで停まるのです。
いつも電車とホームとの大きく開いた隙間を見て、
「怖いな〜」と、思っていました。
その日は友達と渋谷で降りたのですが、
4,5才位の男の子を連れた母親とおばあちゃんらしき人が
慌てて駆け込んできました。
しかし、急いで乗車しようとしたもので、
’ストン’と子供がホーム下に落ちてしまったのです。
隙間から覗くと、子供は訳も分からず、
ホーム下で行ったり来たりしています。
母親達はパニックになって騒ぎながら
電車が発車していってしまうまで
「とにかくそこに留まって!」と両手を広げて
止まれのジェスチャーをしています。
私は「それは、危ない!」と思いましたが、
母親達も少し冷静になり、
二人は手を伸ばして子供を引っ張り上げ、
乗車させると共にドアは閉まり、
三人を乗せて電車は何事もなく行ってしまいました。

以上の出来事は数秒の事でしたが、もっと長く感じました。
そして、渋谷駅に残された私達は
暫くポカ〜〜ン・・・としていました。
皆さんも大きく開いたホームには気をつけてくださいね。

こちらは海外編
<ジャワ>
〜スピードバス〜

バリ島からバスとフェリーを乗り継いで
ジャワ島に行った時の話です。
こちらのバスは古い上にスピードを出すので
いつも心配なのですが、
特にこの時の運転手さんはスピードを出していました。
山のくねくね道を超スピードで行くので
「マズイ!」
とは思っていました。
そして急カーブにかかった時、事件は起こりました。
勢いで前の人がゴロゴロっと転げ、
入口のドアから外に放り投げられてしまったのです。
転げ落ちた人はうずくまって非常に痛そうでした。
そしてバスはそのまま救急車となり、病院に運ばれたのです。
私たちは1時間病院の駐車場で待つ事となりました。
1時間後、転げ落ちた人は、
おでこに絆創膏をペタッと貼っただけでした。
戻ってきて「イェーイ」と親指を立て、バスの中は拍手となりました。
めでたし めでたし
〜桶一杯の水〜
ジャワ島では何も決めていなかったので、
とりあえず宿を決めました。
古い宿でしたが、屋上のトップの部屋でなかなか快適。
しかも1泊100円です。
しかしお水は大変貴重で、
桶一杯の水を渡されました。
それを友達と、歯磨き・洗顔・身体拭きと全てに使うのです。
一杯の水でもこんなに使えるんだ!・・と感心。
日常では考えられないですが、
お水をもっと大切にしなければ行けないな・・
と、感じた出来事でした。
<モルディブ>
〜夜釣りで釣ったものは?〜

二度目に訪れたモルディブでは、
ゆっくりダイビングをしたい事もあり
一人で行きました。
カンドゥマフシ島はほとんどがドイツ人の観光客で
彼らはだいたい1ヶ月のバカンスを過ごすそうです。
(日本とは大違いですね。)
私はというと午前と午後に1本ずつ潜り、
どちらか一方の日は、空からモルディブを眺めたり、
海岸でのんびり過ごしていました。

その晩は夜釣りツアーがあり、
面白そうなので私も参加をする事に・・・。
15人乗り位のボートで沖まで出て、
棒に糸を付けただけのような竿で釣るのです。
半信半疑で始めましたが、
ナント魚は入れ食い状態・・・。
色とりどりの魚がドンドン釣れます。
・・・と、手元に重い感触。
頑張って釣り上げると
それは70〜80cm位のサメで、
外人さんたちも大喜び。
皆に囲まれ記念写真となりました。
大漁で島に戻ると、釣った魚で
バーベキューが始まりました。
釣りたての魚は美味しくて大好評!
私は醤油を持参して行ったので
鯛をお刺身にしてもらい、大満足でした。
さて、お待ちかねのサメが焼け、
皆興味深く食べ始めました。
しかしパサパサしていて、美味しくない!
外人さんたちにもと〜っても不評で、
ちょっぴり残念なサメ体験でした。
(>_<)
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